舞台やミュージカルの感想

あなたの目の前で輝くその一瞬の為に産まれてきた。一瞬一瞬を全力で生き抜く表現者が大好き。

「好き」の気持ち。

「好き」の気持ち。

最近ずっとずっと考えることがあって考えている。

 

ここでの「好き」は、家族や友人への「好き」ではなく、舞台、ステージに立っている方への「好き」。

 

私はずっと昔から現実社会に生きている友人、恋人、家族への「好き」とステージ、舞台に立っている人への「好き」を同等の「好き」と考えられないことになんの疑問を持つことはなく生きてきた。

よく友人から「好き」な人が恋人がいたり結婚したりしてもなんとも思わないの?ショック受けたりしない?とすごく疑問がられていた。

 

それは、そのような記事や報道を見たりすると驚くことはあるけど、ご飯が食べられない、仕事に行けないレベルにはならない。でも、ヲタクなのでそれなりに心は揺れることはあるけれど。

 

「好き」って私の中でとても確立されているもの。

「好き」は一方通行なもの。

「好き」は何にも汚されない純粋で清らかなもの。

 

同担拒否って言葉があるけれど、私は全くない。

 

むしろ、色んな方の好きを聞ける良い機会だし、色んな人の好きを聞けると心から癒されるし、私の好きな人が色んな人から愛されているんだととても心が温かくなるのだ。

 

愛されているな…よかった。嬉しい。ってとても純粋に思ってしまう。

だから同担拒否は全くない。

でも、多分私と相手との「好き」は全く違うのだと思ってしまう。

そして、私は相手にその「好き」を理解してもらいたいとも思っていないし、多分相手の「好き」に対して私は理解できない。

 

「好き」は私の中で相手に対しての一方通行なものであり、私だけのための確立されたものなのだ。

 

だから、相手の「好き」とは全く違う自分だけのもの。

だから同担拒否ということが相手と自分の中で成り立たないのです。

 

自分の中にある「好き」は相手へ向けた一方通行な感情なので私は時々とてつもなく苦しくなるのです。

ステージや舞台に立っている時は、そのもの観せてくれるものが全てだと思っているし、自分が見ているものが全てだと思っているので、いわゆるレポは見ないことが多い。

 

相手が自分へ届けてくれるもの全てを受け止めたいし、他の人の感想でどうしても上書きされ

てしまうような気がしてならないのです。

 

舞台やステージ一公演、一公演が最初で最後の唯一無二のものであること、だから同じ公演は一つもなくて私はステージや舞台をそういった思いで好きな人から受け止めている。

 

でも、だからと言って多く入っている人を責める気持ちも羨ましいなと思うことも全くありません。

私自身も入ることもあるので。

私は私の観劇のあり方を楽しんでいるし、それを相手に理解してほしいとも思っていないし、自分なりに楽しむ方法で良いと思っています。

 

私の「好き」はとてつもなく苦しいもの。

相手に理解してほしいとも思わないし、むしろ孤独で深い深海をずっと彷徨っている感覚に近い…。

 

孤独で少しのことで揺れしまって辛くて苦しくて切なくてしんどくて不安定でゆらゆら揺れているもの。

とてつもなく苦しい気持ち…でもその感情が…私はとてつもなく好き。

この気持ちがなくなってしまったならもうダメだとも思うくらい。

だから私の「好き」は透明で純粋なものでありたいのです。

何かが入ってきて侵食さててしまったなら死んでしまう。

そのくらい「好き」は純粋で清らかで私だけのもの。

 

大好きな人に対して…「好き」という感情を私はきっとずっとこの気持ちを持っていたいのです。